Phoebus Apollo Academy

英語に関する記事を書いていきます。

whatの気になる用法

1.1   whatの気になる用法

 

1.1.1 構文: A is towhat Y is to Z.

和訳:「ABの関係はYZの関係に当たる」

 

直訳は、「ABにとって、YZにとってであることだ」

    意訳は、「ABに欠かせないのは、YZに欠かせないのと同じだ」

          「YZに欠かせないように、ABに欠かせない」

    更に、下の例文などの訳にあるように、文意に即して自由に日本語にするとよい。

 

1.1.2  例文を挙げてみると、

    The park is to the city what the lung is to the body.

 

        ・公園と都市との関係は、肺と身体との関係に当たる。

・公園が都市に欠かせないのは、肺が身体にかかせないのと同じだ。

    

    このwhatは関係代名詞で、主節の主語the parkと従節の主語the lungの補語になっている。

 

1.1.3  この関係代名詞のwhatの代わりに、接続詞のas(~のように)用いられる。

    whatasの使い分けはなく、下の例文b.ではシェークスピアリア王から引用したが、whatが古い用法というわけでもない。例文a.は最近の英語である。

 

    The park is to the city as the lung is to the body.

 

       ・肺が身体に欠かせないように、公園は都市に欠かせない。

 

1.1.4  この構文の成り立ちを簡単に説明すると、

      A   is   to B  what Y is to Z.

     S  V  M      C   

    つまり、これは第2文型の文であり、そこにM(修飾語)が 挿入されている。

  

  更にCの部分を分解すると、

    what   Y   is   to Z

         C      S   V     M

        この従節も第2文型であり、補語の関係代名詞whatが前に出ている。

1.1.5  語順が変わることもある。

    What Y is to Z, A is to B.

As Y is to Z, A is to B.

 

       WhatAsで始まっている従節のYとZに、「肺」と「身体」のように関係が明らかなもの、つまり誰でも知っている事柄が入り、言い換えると“旧情報”が来る。次に同じような関係が、AとBにもあるとする。つまり「都市」の「公園」は人間の「肺」に当たると。こうして筆者の示したい“新情報”が印象的に提示される。

 

1.1.6  語順を変えることによって、意味の違いは生ずるのか?

    α. The park is to the city what the lung is to the body.

       β.What the lung is to the body, the park is to the city.

       

        英語では、語順が違う(倒置する)と、当然意味が本当は違ってくる。1.1.5で述べたように、the park is to the cityが新情報であり、the lung is to the bodyが旧情報である。

    

    したがって、α.では、読み手は筆者の言いたいことが最初はつかめない。後半のthe lung is to the bodyになって、そういうことを言いたかったのかと納得するわけである。つまり、

 

   ・公園と都市の関係はね、肺と身体の関係にあって、欠かせないものなのだよ。

 

    となる、β.は逆に読者の予想がつく情報を示してから、筆者の言いたいことを後にもってくる。これをEnd Focus(文末強調)といい、これによって筆者の言いたいことを強く印象的に示すことになる。つまり、

 

   ・肺と身体の関係と同じようにね、公園は都市には欠かせないものなんだよ。

    

    ということになる。英語が書かれている順に前から理解していくと筆者の強調したいことがわかる。どちらから訳してもよいが、頭から訳すと筆者の意図が明白になる。

 

次の例文a.検討してみよう。

 

    a. What high technology is to cotemporary Japan, heavy industry was to Meiji Japan.

 

・ハイテクと現代日本の関係は、重工業と明治の日本との関係だった。

・ハイテクが現代の日本に欠かせないように、重工業は明治の日本に欠かせないものだった。 

 

       ハイテクと現在の日本との関係は、誰でも知っているので、それを例に出しながら、明治時代の日本と重工業との関係性に注意を向けさせているのである。

      

1.1.7  ただし、この構文についての日本語訳は、語順も含め主旨を変えずに自由に行えばよい。例文a.e.の訳を参考にして貰いたい。ただし、言葉を補うのが不安ならば、公式通りで乗り切ればよい。

 

   「ABの関係はYZの関係に当たる」

 

1.1.8  各種例文

    b. As flies to wanton boys are we to th' gods,

They kill us for their sport.  (Shakespeare, King Rear, Act 4, scene 1, 32–37)

  

    省略を補って、現代風に書き換えると、

   As flies are to wanton boys, are we to the gods.

    They kill us for their sport.

 

   ・蠅とやんちゃ坊主との関係は、神と僕ら(悪童)との関係だ。

    神は僕らを慰みで殺す。(直訳)

  ・人間の手中にある蠅は、神の手中にある我ら人間と同じだ。

   慰みで殺される。(意訳)

  

c.  Only six or seven thousand years ago ―― a period that is to the history of the earth as less than a minute to a year ―― civilization emerged.

 

    まず、この英文の焦点を抜き出し、理解し易いように書き換えてみる、

 

   a period (= six or seven thousand years) is to the history of the earth as

    less than a minute is to a year.

 

   ・そのある期間(6、7千年)と地球の歴史との関係は、1分未満と1年の関係にあたる。

・そのある期間は地球の歴史からみれば、1年に換算するとほんの1分未満だ。

 

英文全体を日本語にしてみると、

・ほんの6、7千年前、それは地球の歴史から見ると、1年の1分未満の短い時間にしか相当しないが、文明が誕生したのだ。

 

上記英文について簡単に解説すると、six or seven thousandsa periodが同格で、その次の単語thatは関係代名詞である。そして、上記英文に補足したように、less than a minuteの後にisが省略されている。

 

d.  As a dog is to me, so am I musically to Beethoven and mathematically to Einstein. The only consolation is that Beethoven himself is a mathematical dog in relation to Einstein, while in all cases where visual art is concerned, Einstein on his own confession is a dog in comparison with any good painter or even art appreciator of painting.

 

   この英文を要素に分けて解説してみよう。

 

As a dog is to me,so am I musically (to Beethoven) and mathematically (to Einstein). The only consolation isthat Beethoven himself is a mathematical dog (in relation to Einstein), /while (in all cases where visual art is concerned,) Einstein (on his own confession) is a dog (in comparison with any good painter or even art appreciator of painting.)

 

 この表現形式は、多くの例文に当たってみると分かるが、やはり“古臭い教訓的な英文”、また、あえて古臭い形式と分かりながら書かれた広告文などによく用いられる表現である。この英文もまさにそうである。筆者の能力はそう高くはないけれど、偉大な音楽家ベートーヴェンであっても、偉大な物理学者のアインシュタインであっても、分野が違えば劣っているということを言っている。つまり、ある“上から目線”的な内容や表現であるとわかる。構文的に注目すると、asの節が前に出ると、副詞節が前に出たということで、主節のSVが倒置したり、さらにはsoで受けて上記のような構文になる。該当箇所を抜き出すと、

 

 As a dog is to me, so am I musically to Beethoven.

 

・犬と私との関係は、音楽的にみれば私とベートーヴェンとの関係にあたる。

・犬が私に能力的に劣っているように、私は音楽的な面からみるとベートーヴェンに劣っている。

 

21世紀に書かれた英文ではないので、色々な面で違和感があるし、文体も内容も古臭い気がする。そもそも21世紀には“犬”をこのように貶めない。

全体を分かりやすく日本語にしてみる。

・犬が私に劣っているように、私は音楽的にみればベートーヴェンに劣り、数学的にみればアインシュタインに劣っている。唯一の慰めは、ベートーヴェン自身がアインシュタインと比べれば数学上の犬だ、一方視覚芸術に関する限り、アインシュタインは、ご本人が告白しているように、どの良い画家や絵の鑑賞者と比べても(絵の分からぬ)犬ということだ。

 

e.  Between labor and play stands work.  A man is a worker if he is personally interested in the job which society pays him to do; what from the point of view of society is necessary labor is from his own point of view voluntary play.

 

  この英文は“A is to B whatis to Z.”のヴァリエーションである。英文も内容もやはり古いと言える。要素に分けてから英文の構造を解説してみよう。

 

  (Between labor and play) stands work. A man is a workerif he is personally interested in the job (which society pays him to do);what (from the point of view of society) is necessary laboris (from his own point of view) voluntary play.

 

   最初の文は、Mが文頭に出て、SVがVSのように倒置されている。

 

・労働と遊びの中間に仕事がある。仕事人と言えるのは、社会が賃金を払って   くれる職に個人的な興味関心を持っている場合、つまり社会的観点から必要な労働が、個人的な観点からは自ら進んでやる遊びになっている場合だ。

 

つまり、やりがいのある仕事と思っている場合には、労働でなく、単なる遊びでもなく、“仕事”という風に言えるという内容である。上記の公式に倣って該当箇所を分かりやすく書き換えると。

 

   α.what is necessary (from the point of view of society)is voluntary play

 (from his own point of view).

   

   となる。また、次のような書き換えも可能ではあるが、ニュアンスが大幅に違ってくる。よって、純粋に構文的・文法的な観点からだけの議論では意味がない。

 

β.voluntary play is (from his own point of view)what is necessary (from the point of view of society.)